和兵衛窯のものづくり
和兵衛窯は、手間ひまをかけた丁寧なものづくりを身上としております。
1974年、江戸期の白岩焼の調査に秋田に訪れた故・浜田庄司氏をして「白岩焼の特徴であるナマコの釉薬は、現在各地で似たものが使われているが、白岩焼がいちばん良い」(昭和49年7月6日付『秋田魁新聞』)と言わしめた海鼠釉の美しい発色を求めて、三十有余年の研究を重ねてまいりました。この青白い釉薬の色は、顔料によるものではなく、土の鉄分と釉薬の灰が窯の中で科学変化を起こすことで現れます。そしてそれは、この土地の原料でしか現れない釉色でもあります。
いくつもの釉薬の使い分けが必要であり、温度がわずかに高ければ色が濁り、わずかに低ければ艶がなくなってしまう、適温の範囲が非常に狭い海鼠釉はとても気難しい存在です。 そのような釉薬を灯油窯、登り窯といった焼き上がりの安定しない窯で焼くことはリスクの高いことではありますが、そうでしか得られない発色があると、今日まで制作を続けてまいりました。
個性の強い釉薬を受け止め、かつ、現代の生活に合うかたち、その答えを求めて和食器から洋食器まで和兵衛窯作品の種類は増え、そして作るたびに改良を重ねております。
この秋田の土地で陶芸を生業とすることは、一年の三分の一近くを、土も釉薬も凍る季節と向き合うということでもあります。しかし、その雪深く外界と断絶された日々は同時に、ものづくりにじっくりと対峙することができる僥倖の時間でもあります。そして、海鼠釉の青白い発色と赤土の濃茶の色は、まさに雪と大地の色であり、この土地で連綿と厳しい冬を受け止めてきた人々の、雪どけに垣間見える恵みの土への深い感慨を表しているように思えてなりません。
現代社会のスピードには逆行するような仕事の仕方ではありますが、こんな時代であるからこそ、過剰といえるほどの手間をかけた作品を、そして手間をかけねばできない作品を提案していきたいと思っております。江戸期の古白岩焼にたずさわった先人たちの時間、そしてわたくしども和兵衛窯がひとつの作品にこめる時間、この長い長い時間が、作品の佇まいにつながるようなものづくりをこれからも続けていきたいと願っております。